2025.3.08
3月は女性シンガーを特集
ホイットニーの叔母さん、ディオンヌ・ワーウィック
33rpm SEASON IV(2025年3月15日OA)No.264
ディオンヌ・ワーウィック『ハートブレイカー』
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
3月は、ひな祭りに始まり春を迎える季節となることから、女性シンガーを特集します。
今回ご紹介するのは、アメリカのシンガー、ディオンヌ・ワーウィックの大ヒット・アルバム『ハートブレイカー』です。
1940年12月12日ニュージャージー州生でまれた、本名マリー・ディオンヌ・ワーリックは、父がレコード・プロモーター、母がゴスペル・グループのマネージャーという音楽一家で育ち、幼い頃から教会で歌っていました。
14才のとき、叔母のシシー・ヒューストンや姉のディー・ディーらとザ・ゴスペレアーズを結成、教会や、学校など各地で歌い、アポロ・シアターのアマチュア・ナイトで優勝を勝ち取りました。すると様々なアーティストのバック・コーラスに抜擢され、ダイナ・ワシントンやソロモン・バークとも共演を果たしました。
1959年、奨学金でコネチカット州のハートフォード音楽大学に入学。大学で学ぶ傍ら、バック・コーラスの仕事を始め、様々なレコーディングに参加しました。すると60年、ニューヨークのレコーディング・スタジオで運命的な出会いがありました。作詞家のハル・デヴィッドとコンビを組んで活躍していたバート・バカラックは、黒人でなおかつ洗練された歌声のワーリックを気に入り、彼女のイメージで新曲を書きおろします。
62年ディオンヌ・ワーウィックとして「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」でデビューすると、これがいきなり全米TOP40ヒットとなりました。続いて64年に「ウォーク・オン・バイ」、67年に「小さな願い」とTOP10ヒットを放ち、68年の「サンホセへの道」でグラミー賞に輝きました。
69年の「恋よ、さようなら」がまたまたヒット、2度目のグラミー賞を受賞しました。72年にワーナー・ブラザーズへ移籍してからは少し落ち着いて来ますが、74年にスピナーズと共演した「愛のめぐり逢い」で自身初となる全米1位を獲得しました。
78年には、クライヴ・デイヴィス率いるアリスタへ移籍して心機一転。レーベルのスター、バリー・マニロウをソング・ライター兼プロデューサーに迎え、79年にリリースしたアルバム『ディオンヌ』からは「涙の別れ道」が久々のTOP10ヒット。さらに、アイザック・ヘイズによる「恋にめぐり逢い」と合わせて、グラミーをダブル受賞しました。
1982年にビージーズのバリー・ギブがプロデュースした『ハートブレイカー』をヒットさせ、86年には、久々にバート・バカラックとコラボレーション。エルトン・ジョンやスティーヴィー・ワンダーと共演したチャリティー・ソング「愛のハーモニー」で5度目のグラミー賞に輝きました。それ以降もブラジルに特化したアルバムやゴスペル作品など発表、今でも現役で活動を続けています。
ディオンヌ・ワーウィックのアルバム『ハートブレイカー』
SIDE A
「ハートブレイカー」
「メークス・ノー・ディファレンス」
「ユアーズ」
「あなたへの家路」
「誤解」
SIDE B
「オール・ザ・ラヴ」
「映る姿はあなただけ」
「ワン・モア・ナイト」
「ユー・アー・マイ・ラヴ」
「アワ・デイ・ウィル・カム」(燃ゆる初恋)
ディオンヌ・ワーウィックのアルバム『ハートブレイカー』いかがでしょうか?
ちなみに彼女は、アメリカ保健大使を務めエイズの啓発活動など音楽以外でも評価され、2023年にケネディ・センター名誉賞を、24年にはロックの殿堂入りしました。
★ディオンヌ・ワーウィック オフィシャル・ファンサイト
33rpm『ハートブレイカー』ディオンヌ・ワーウィック
●ON AIR:2025年3月15日(土)21:00~21:55