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2022.10.08

クリエイションじゃなくクリエーションなんです
『ロンリー・ハート』をアナログで

33rpm SEASON II(2022年10月15日OA)No.138
クリエーション『ロンリー・ハート』


アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
今では英語で歌う日本のバンドは珍しくありませんが、今月は70年代~80年代にかけて英語で歌っていたバンドを紹介したいと思います。 “MADE IN JAPAN”シリーズ10月15日は、1981年にリリースされた“クリエーション”のアルバム『ロンリー・ハート』です。


1960年代のGS(グループ・サウンズ)ブームが去りフォークが台頭してくる中で、日本の音楽シーンのアンダー・グランドで、また別な動きがありました。日本のロック黎明期にオリジナル曲を英語で歌い、世界進出まで夢見たニュー・ロック。今回紹介するクリエイションも、そんな流れを汲むバンドのひとつです。

1952年3月11日、東京日本橋に生れたギタリストの竹田和夫がその中心人物。13歳でギターを始め、アマチュア・バンドで活動後、1968年16歳でプロデビューします。1969年にブルース・クリエイションを結成してポリドールよりレコード・デビュー。71年には二枚目のアルバム「悪魔と11人の子供たち」、そしてフォークからロックに転向したカルメンマキとのアルバムもリリースします。



72年にブルース・クリエイションは解散、竹田は3ピース・バンド、ブラッディ・サーカスを結成してイギリスへ渡ります。しかしブラッディ・サーカスは短命に終わり、帰国して大沢博美、松本繁、樋口晶之らとクリエイションを結成。ヴォーカルの大沢が脱退して飯島義昭が加入、ツイン・ギターとなりヴォーカルは竹田が担当。その活動は国内のみならず、ヨーロッパ・ツアーなど海外にも及びました。 また73年のマウンテン来日公演のオープニング・アクトを務め、後にプロデューサー、そしてメンバーとなるフェリックス・パパラルディと出会っています。



75年にはファースト・アルバム「CREATION」をリリース。
数々のロック・フェスに出演した後アメリカに渡り、フェリックス・パパラルディのプロデュースで2ndアルバムのレコーディングに入ります。76年『クリエイション・ウイズ・フェリックス・パパラルディ』をリリース、そのパパラルディと共に日本武道館ワンマン公演を実施。2ndアルバムはアメリカでも発売され、全米ツアーも行われました。



77年には3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』から「スピニング・トー・ホールド」が兄弟プロレス・チーム、ザ・ファンクスの入場テーマ曲として使われ、ますます知名度をあげました。その後ベースが松本から山内テツに交代、テツはその後イギリスに渡り、フリーやフェイセズに参加します。クリエイションもワールドワイドに活動し、数々の海外アーティストと共演、メンバーチェンジを繰り返しながらも活動は継続していきます。



1981年にはゴールデン・カップスなどでキャリアを積んだアイ高野をヴォーカルに迎えて、バンド名を“クリエーション”に改め、アルバム『ロンリー・ハート』をリリース。ドラマの主題歌となったタイトル曲はスマッシュ・ヒットとなりました。

80年代は、竹田和夫&クリエイション名義で作品を発表、しかし84年の『レイニー・ナイト・ドリーマー』をもってクリエイションは解散します。その後竹田和夫は海外に拠点を移しソロ活動を続けますが、2014年にクリエイションを復活。現在も自身のグループと並行してクリエイションでの演奏活動を続けています。


“クリエーション”のアルバム『ロンリー・ハート』
SIDE A

「キャリー・オン」
「ロンリー・ハート」(英語ver.)
「ハートブレイカー」
「レイディー」
「トライ・ミー・トゥナイト」

SIDE B
「夜の放浪者」
「ロンリー・ハート」(日本語ver.)
「ムーヴ・ミー」
「ニューヨーク・ウーマン・セレナーデ」

“クリエーション”のアルバム『ロンリー・ハート』いかがでしょうか?ちなみに、竹田和夫氏が1970年に初めて手にした外国製のギターは、ソリッド・ボディ・エレキギターの元祖、フェンダー・エスクワイアだったそうです。

★クリエイション・竹田和夫 オフィシャルサイト

33rpm『ロンリーハート』クリエイション
●ON AIR:2022年10月15日(土)21:00~21:55