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  • 番組

2023.3.10

3.11を短歌で語り継ぐ ~あの日の記憶~(その②)

その①の続きです。

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・肯定ルウザー
「田舎にも 朝夕にパン ありがとう 顔も知らない そこのあなたへ」
私が住んでいた地区は水道が1か月近く止まっていましたが、倒壊した家は無く、
被災者ではなかったのかも知れません。しかし銀行も店も閉まったままで、途方に暮れていました。
小さな町の小さな体育館に朝と夕、パンと牛乳、水をを届けて下さった方々に、
こちらでお礼申し上げます。あの時は、本当にありがとうございました。

・継続して食べて応援
「雪明り 友から貰った ストーブで 心も腹も 満ち足りた夜」
震災後,電気もガスも無い時に,友達が「いいがら持ってけ!」と、
くれた石油ストーブでご飯の煮炊きが出来ました。
調理と暖房を兼ねる事が出来るので大変便利です。

・ででぽっぽ
「翌朝の バイクの音を 耳にして 日常想い 涙溢れる」
震災後眠れぬ夜を過ごし、早朝に新聞配達のバイクの音が聞こえてきて不意に涙が出ました。
怯える家族の中でずっと気を張っていたのですが、変わらぬ日常の音に安堵したのと、
こんな時にも新聞が届くありがたさを感じたのでした。

・ハムニダ共和国
「仕事後の 暗がりで会う 駐屯地 フェンス越し交わす GOOD LUCK!」
病院回りの仕事をしていた私は、震災後わりと早期に仕事が再開され、一方、
即応予備自衛官だった彼は、災害派遣のため多賀城駐屯地に滞在していた期間がありました。
これは、仕事帰りにフェンス越しに会って、お互い気をつけて頑張ろうぜ!
と話した思い出を詠んでみました。
その彼は、いまの旦那です。

・ラップトップ・ラプトル
「わざわいの 牙の形はそれぞれも 気持ちを寄せて 暮らしていきたい」
12年前、福島市で被災しました。震災の中心は原発事故の放射能汚染と被曝でした。
2年前、仙台市に引っ越してきました。こちらで見て聞いて感じる震災の中心は津波です。
あらためて、震災の被害の大きさ、受けた傷がさまざまであることを痛感します。

・ヘタレ勇者
「水止まり トイレ流せぬ どうしよう 有ると便利な 携帯トイレ」
大震災の次の日にお腹を下しました。水が止まってトイレが流せないことに絶望した私は、
自転車で片道30分のお婆ちゃんちのぼっとんトイレに直行しました。携帯トイレは神アイテムです!

・よっ!仲間
「地震起き 山の現場に 居たけれど 仮設トイレを 夜運びかた」
あれから12年たつんですね。
あの時は 夕方家にかえって5分後には 社長が呼びに来て 家の状況見る暇もなく 
朝方まで仮設トイレを避難所に運んでましたが、信号機もついてなかった中、
事故も無く、譲り合いの気持ちで走ってたのを思い出しましたね。

・隣のビルの会社員
「とりあえず 本州はいれば なんとかなるさと すすきのでした 作戦会議」
12年前の今日は 出張で札幌にいました。テレビでは見たことない警報が発表されてて、
本当のニュースか飲み込めなかった覚えがあります。
そして同僚と翌日 福島空港に降り立ち 郡山から タクシーで仙台まで返ってきました。

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その③に続きます。