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2023.7.15

こんなはずじゃなかったのか?
ピーター・ウルフ、売れたとたんに脱退

33rpm SEASON III(2023年7月22日OA)No.178
J.ガイルズ・バンド『フリーズ・フレイム』


アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
7月は70年代から80年代にヒットしたアメリカン・ロックをお届けしています。「ROCK IN AMERICA」今回は、J.ガイルズ・バンドが1981年にリリースしたアルバム『フリーズ・フレイム』です。


デビュー即ブレイクという場合もあれば、苦節何年という遅咲きグループの一つ、J.ガイルズ・バンド。

その中心人物J.ガイルズことジェローム・ガイルズは、1946年2月20日ニューヨークに生まれニュー・ジャージーで育ちました。父親の影響でジャズに親しみ、マーチング・バンドにも参加。やがて大学進学でボストンに移り、マーチング・バンドでトランペットを演奏しました。しかしその後ブルース・ギターへと転向し、J.ガイルズ・ブルース・バンドを結成します。



フロントであるウルフことピーター・ブランクフィールドも1946年3月7日ブロンクス生まれ。美術学校に通いながら、ソウルやR&B、ドゥ・ワップなどに親しみました。その後ボストンの大学で絵の勉強をする傍ら、バンドを組んで活動していました。バンド解散後はドラムのステファン・ジョー・ブラッドと共にJ.ガイルズのバンドに参加。彼らはやがてバンド名をJ.ガイルズ・バンドに代えて、ボストンで評判のバンドとなりました。



さらにソングライターでもあるキーボーディストのセス・ジャストマンは、1951年1月27日ワシントンD.C.に生まれ、ニュー・ジャージーへ移ります。小さい頃から音楽を愛し、地元アトランティック・シティでバンドも経験、大学へ通うためボストンに移ってすぐに、J.ガイルズ・バンドに出会いました。69年にはジャストマンもメンバーに加わり、ベースのダニー・クレイン、そしてハモニカのマジシャン、マジック・ディックの計6人でオリジナル・ラインナップが完成。



1970年アトランティックからセルフ・タイトル・アルバムでデビュー。R&B色の強いロックン・ロールで“アメリカのストーンズ”と評されるもブレイクには至らず。しかし、地道なツアーとアルバムをリリースし続け、75年の「傷だらけの愛」が漸くヒット。77年の『モンキー・アイランド』をもってアトランティックに別れを告げ、EMIに移籍するとバンドにも変化が訪れます。ポップなサウンドを取り入れ、シングル・ヒットも生まれるようになりました。そして1981年の『フリーズ・フレイム』から「堕ちた天使」が全米No.1ヒットとなりついにブレイク。



アルバムでも全米1位と文字通り苦節10年の勝利でしたが、82年のライヴ・アルバム『ショータイム!』をもって、ピーター・ウルフがソロ活動のため脱退。84年にセス・ジャストマンを中心に『ヒップ・アート』を発表しますが、結局バンドは解散。1999年にドラムのステファン・ブラッド以外の5人で再結成ツアーを行い、問題を抱えながらも、その後も度々ライヴを開催してきました。しかし2017年4月11日にリーダーのJ.ガイルズが星となり、バンドの歴史に幕を下ろしました。


J.ガイルズ・バンドのアルバム『フリーズ・フレイム』
SIDE A

「フリーズ・フレイム」
「閉ざされた怒り」
「堕ちた天使」
「去って行く女」
「狂気の季節」

SIDE B
「炎の女」
「リバー・ブラインドネス」
「悲しみのエンジェル」
「ピス・オン・ザ・ウォール」

J.ガイルズ・バンドのアルバム『フリーズ・フレイム』いかがでしょうか?
ちなみにヴォーカルのピーター・ウルフは高校生の時「アポロ・シアター」で見たマディ・ウォーターズに衝撃を受けて以来追いかけ続け、ついには親交を持つまでになり、自身がブレイクしてもそれは続いていたそうです。

★J.ガイルズ・バンド OFFICIAL

33rpm『フリーズ・フレイム』J.ガイルズ・バンド
●ON AIR:2023年7月22日(土)21:00~21:55

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