TOPICS
  • 番組

2023.1.07

レアルの守護神になっていたかもしれない
ラテンのスーパースターとは…?

33rpm SEASON II(2023年1月14日OA)No.151
フリオ・イグレシアス『愛の瞬間(モメント)』


アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
1月は「成人の日」があるのにちなんで、大人の音楽をご紹介します。
1月14日にお送りするのは、1982年にリリースされたフリオ・イグレシアスのアルバム『愛の瞬間(モメント)』です。


全世界でこれまでに1億枚を超えるレコード売上を誇る世界的なスーパースター、フリオ・イグレシアスはラテン圏で最も成功した歌手といえるでしょう。

本名フリオ・ホセ・イグレシアス・デ・ラ・クエヴァは、1943年9月23日、スペインのマドリードに生まれました。父は有名な産婦人科医、母は上流階級出身というセレブな家に生まれたフリオは、将来弁護士になるため、法律を学んでいました。



学校に通う傍らサッカーが大好きで、名門「レアル・マドリード」のユースで活躍。
ゴール・キーパーとして将来を期待され、レアルの一軍として契約を勝ち取った矢先、交通事故に遭ってしまいます。20歳のフリオは両足複雑骨折という大怪我を負って、サッカー選手への道は閉ざされたものの、新しい才能の発見がありました。治療中にプレゼントされたギターをつま弾くうち、いくつかの歌を作っていたのです。



退院後は学業に戻り学位を取得。
一方音楽への興味も深まり、自作曲をとある音楽祭に出品してみました。「人生は同じように続く」というその曲は、1959年から続く音楽祭の予選を突破、68年7月そのステージで披露すると、見事グランプリに輝きました。これが人生の転機となり、コロンビア・レコードと契約。甘いマスクと歌声で、その人気は世界中に広がり1970年には大阪万博で初来日を果たしました。



この頃スペインに留学していた女性と知り合い、わずか3ヶ月で結婚。長女イザベラ、長男フリオ、そして次男エンリケと3人の子供をもうけました。77年にはその妻イザベラと離婚、79年に拠点をアメリカに移して活動を始めます。81年にコール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン」をカヴァーすると、初の英語での大ヒットとなり、日本でもフリオは大人気。82年のアルバム『愛の瞬間(モメント)』はオリコン洋楽チャートで13週間1位を記録。シングル「黒い瞳のナタリー」は、郷ひろみのカヴァーも含めて大ヒットしました。



84年には初の英語アルバム『ベル・エアー1100』をリリース。ウィリー・ネルソンとのデュエット「かつて愛した女性へ」が全米5位となり、アルバムは自身最大のヒット作となりました。その後も、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダーらとの共演作をリリース。



90年代には次男エンリケがデビューして、ヒットを連発。全米でイグレシアス・ファミリーの存在感を見せつける活躍をしました。以降は、スペイン語作品、英語作品ともリリースしていき、2013年にはギネスブックから「最も売上を上げた男性ラテンアーティスト」の認定を受けました。


フリオ・イグレシアスのアルバム『愛の瞬間(モメント)』
SIDE A

「黒い瞳のナタリー」
「愛の瞬間(モメント)」
「ラ・パロマ」
「私の人生、おまえの人生」
「アモール、アモール」

SIDE B
「さすらい」
「もう恋などしない」
「愛につまずいて」
「この女こそは」
「愛が扉をたたく時」

フリオ・イグレシアスのアルバム『愛の瞬間(モメント)』いかがでしょうか?
ちなみに、1984年にヒット曲をデュエットしたウィリー・ネルソンは、ラジオでフリオの声を聞いて自ら連絡をとり、デュエットが実現したのだそうです。
フリオ・イグレシアス OFFICIAL SITE

33rpm『愛の瞬間』フリオ・イグレシアス
●ON AIR:2023年1月14日(土)21:00~21:55

=Present=応募は>>こちらから